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2008年06月

童謡コンサートのお知らせ



宮本忠長建築設計事務所在籍中に、ご自宅の設計を担当させていただいた千曲市の田沢さん。奥様の節子さんはなんとCDも出している童謡の作詞家です。

大正7年に創刊された児童雑誌「赤い鳥」の発刊を契機に一大潮流となった赤い鳥運動の理念は「今生きている歌を今生きている子供たちに」というものでした。今でもその理念を胸に童謡の作詞活動をされている田沢節子さん作詞の童謡コンサートが7月に長野県民文化会館で開かれます。芸術味豊かな、子供等の美しい空想や純粋な情緒を優しく育む歌を、ぜひ生で聴いてみませんか。

平成を生きる僕たちにとっても、90年前の赤い鳥運動の理念が現代の子供たちに何を与えられるかを考えるよい契機になると思います。

童謡コンサート
~赤い鳥運動90周年そして童謡詩人田沢節子の世界~
■日時
 平成20年 7月10日(木)
 開場13:30  開演14:00~
■開場
 長野県県民文化会館小ホール
 長野市若里1-1-3 TEL:026-226-0008
■入場料(全席自由)
 大 人2,000円(当日2,500円)
 こども1,000円(当日1,500円)
■出演
 うた 大庭照子 DOYO組
 お話 田沢節子 (長野県出身、千曲市在住。日本童謡協会会員)

○問い合わせ・お申し込み
 童謡コンサート実行委員会 田沢節子
 TEL:090-1547-2335  FAX:026-273-0799


楽しき住家(じゅうか)



約1年前になるが、ある住宅の実測調査をするご縁があり、その住宅の設計者が「西村伊作」であることを知った。「西村伊作」を文化学院の創立者としてご存知の方もいると思うが、西村伊作は大正から昭和初期にかけて日本人の生活改善や住宅改良を訴え幾つもの住宅を設計した建築家でもある。

さて、聞くところによるとその住宅は大正12年に建設されたというから、かれこれ80年近い時が流れていることになる。しかしながら外観を見る限り老朽化はしているものの、その佇まいは今見てもとても美しい。

他の日本の住宅は大正期に入っても、ほとんど江戸期とさして変わらないものであっただろう。
外国人別荘でもなければ大富豪の洋館でもない地方の小さな住宅が、大正デモクラシーの時代をよく表していることに素直に驚いた。政治面だけではなくあらゆる面で今後の日本人のあるべき姿を模索し、個人住宅のような小さなものでも、従来の形式からの改革に真剣に取り組んでいたことが伺える。そして、決して材料や工法が優れているというわけではないこの建物が80年の歳月を生き抜いてきた事実にも目を向けなければならない。

ふと思ってしまう。
最近の現代住宅は、はたして80年間そこに建ち続けることができるだろうか?
劣化対策が進んでいる住宅ならば耐久年数が80年くらいの建物は多いと思うが、本当に80年後そこに建ち続けているかどうかはモノの耐久性とは別問題のような気がする。

80年といえばおよそ3世代に渡る。その家を建てた先代はもうこの世にはいなくて、その次の代も高齢になり孫の世代に引き継ごうかというタイミング。実測調査で住人にお話をお聞きして感じたことは、その家を建てた当時の話を皆がよく覚えていて、それが語り継がれているという事だった。そして皆が家に対する先代の想いを尊重し、多少不便はあっても少しずつ改善しながら大事に家を守ってきた様子が伺えた。結局のところ“人の気持”がこの家の寿命を長くしているのだ。

耐震性能や耐久性や設備の更新性などはとても大事な要因であると思う。でも住む人に愛されない建物になってしまったら建物の寿命はそこで終わりではないかとも思う。

西村伊作は彼の著書「楽しき住家(じゅうか)」でそれまでの封建思想に立脚した住居形式ではなく、家族皆が楽しく暮らせるような家庭生活を重視した居間を中心とする家族本位の住宅を提唱し、自ら建築設計事務所を開設してその普及に努めた。この家の家族が守ろうとしてきたものは建築そのものというよりは、その建築に込められた思想と先代の想いであったのだろうと思う。


アサクリック


-朝倉彫塑館の中庭-

「アサクリック」とは芸術家 朝倉文夫が書き遺した、彼の建築に対する考え方を表す謎の言葉だ。

朝倉彫塑館はJR山手線日暮里駅西口から徒歩3分、御殿坂を登った谷中墓地近くにある芸術家 朝倉文夫の記念館である。朝倉文夫自身が独創的な発想で設計した建物で、RC造のアトリエや日本庭園、数寄屋づくりの木造建築などが一体となったユニークな佇まいをみせている。この朝倉彫塑館ができるまでの経緯も含めて、館全体が朝倉芸術作品であり、大変興味深い空気感を持つ建築のひとつでもある。

この建築の建設は明治40年の掘立小屋の建設から始まり、昭和10年に現在の姿に至るまでに7回の増改築を繰り返している。その都度、必要用途要求に合わせた異質な要素、材料を併存、統合するプロセスを経て現在に至るのだが、そこには増築を繰り返した老舗旅館のような強引さも、予定調和的なまとめかたも存在しない。まるで、一人の人間の紆余曲折する人生や考え方の変遷を綴った物語のような統一感がある。しかも、さらに驚くべきことは、最後の建設時に館のほんの一部である旧アトリエだけを残し、他のほとんどの部分は新築し直していて、厳密には現在の朝倉彫塑館は増築の重なりによってできたものではないということである。そして奇妙なことに朝倉はその最後の建設を、解体した既存の(それまで増築を繰り返した)姿をそのままなぞるように再現しているのである。

アサクリックという言葉は、朝倉文夫自筆の建設記である「我家吾家物語譚」に記された、この建築への独特な考え方を表すキーワードとして挙げられている。館で配られるリーフレットによれば、この言葉の意味するところは、様々な要素、技術を通常とは異なった方法で組み合わせて、全く新しいものをつくり出してしまう方法「朝倉流技術」という意味らしい。アサクラ+テクニック=アサクリックという造語のようだ。そしてアサクリックが数寄屋文化の代表的な考え方である“見立て”という思想に関係しているとも説明している。

自然の風合いを大切にするいかにもわびた表情をもつ数寄屋建築の独特の素材選択の尺度として使われる「見立て」という言葉。これは日常の何気ないものを設計者の創意によって、全く新しい建築の部分として使ってしまう方法である。数々の奇妙なるものを、いともすずしく同一環境の中に併存させてしまう数寄の作法は、仏教も神道も併存を続けるような非常に日本的な手法でもある。

日本の近代芸術がヨーロッパの直接的な影響によって育てられていた時代に、朝倉文夫は一度も海外に外遊していない。それがこのユニークな思想の源なのかも知れない。アサクリックは単にスタイルではない“朝倉”を表現し、同時に“日本”を表現するテクニックだったのではないかと思う。
写真ではなかなか伝わらないこの空気感を、機会があったら是非体験してみてください。


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